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第二回探索 下鴨神社 7月9日(木)

レポート執筆:ゆとり

探索調査:ゆとり、あうすて、さめがめ、ねこかぶ、ほりゆ

応援:カタカナ

はじめに

京大オカルトサークル「ヌエ」第二回活動の探索先は葵祭で知られる下鴨神社である。

下鴨神社は特にオカルトスポットとして知られているわけではないが、「糺(ただす)の森」と呼ばれる東京ドーム三個分の広さの社叢林を有しており、夜に探索するにはもってこいの場所であると判断し、今回の探索に至った。

(あんまり京大から遠い場所に行くのも面倒だった。)

予備知識

下鴨神社は正式名を賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)といい、ユネスコの世界遺産に「古都京都の文化財」の一つとして登録されている。

非常に古い歴史を持ち、社伝では神武天皇の代に祭神が降臨したとされている。実在した可能性のある初めての天皇である第十代崇神天皇が修造したという記録がある。

上賀茂神社とともに奈良時代以前から朝廷の崇敬を受けたという。

探索調査

我々が神社の正門に到着したのは午後七時半頃であったが、周囲の鬱蒼とした木々のせいだろうか、既にかなり暗くなっているように感じた。

人通りはほとんどなく、街灯のまばゆい光がぽつん、ぽつん、と暗がりに浮いている。

社殿に続く道は掃き清められ、人が通るのを待ちわびているようであったが、そのせいで我々以外に誰もいないということが不気味に思われるのだった。

まっすぐな道を抜けると、大きな鳥居が現れた。

下鴨神社は21年に一度本殿以外の大改修(式年遷宮)が行われるため、長い歴史とは裏腹に社殿は新しい状態に保たれている。

この鳥居も例外ではなく、その鮮やかな朱色を周囲に誇示していた。

鳥居に向かって右側にはお清め用の手水があり、その少し南には清冽な水の流れる小川があった。

この小川は境内にある御手洗池(みたらしいけ)から流れる川で、「奈良の小川」と呼ばれる部分であるらしい。

川底が明瞭に見えるほど透き通っており、小魚の姿も。

森の中の蒸し暑さにうんざりしていた私としては、しばらく足を浸していたいところだったが・・・

こちらは鳥居の左手。謎の祠と垣に囲まれた木。

祠の後背にはおびただしい数の絵馬が残されていたが、見るに縁結びのご利益があるようであった。あやかりたいものである。

祠に隣接した木には装飾が施され、「二又の木」を意味する名前(失念した)が付けられていた。

縁結びの祠の横にこんな名前の木があってもよいものだろうか。

しかもこの木、どうみても三又である。もうダメだ。

鳥居の先にある門は閉まっていた。夏は参拝が18時までとなっているのだ。無念。

しかし門の右手には塀沿いに暗い小路が続いていた。その先で撮ったのが上の写真である。

塀の朱色と日没間近の森の紫色が相まって何とも禍々しい様を見せている。

私はここで引き返したが、地図によるとこの先は前述の奈良の小川で行き止まりになっているようだ。

我々は門の左側へ進み、境内と住宅街の間に出た。

神社に関係して特筆すべき物はなかったが、鳥をかたどった巨大な模型が出迎えてくれた。

何に使うのかさっぱり分からないが、塀から首をヌっと突き出した姿はなかなか不気味だった。

本編

我々は来た道をそのまま戻り、出町柳で解散した。ここまでは何もオカルティックな現象は無かった。

別にいわく付きの場所でもないのだから当然といえば当然である。

しかし、解散後、不可解な事件が堰を切ったように調査メンバー(あうすて)の身辺で続発したのだ。

まず始めに彼のスマホの画面がブルースクリーン化した。

これだけなら不具合で済ませることもできたが、彼の帰宅後も不可解な現象は続いた。

PCの画面が突如砂嵐状態になったかと思えば、FFFTPの接続先に「ラッスンゴレライ絶命してね!w」という狂気に満ちた文字列が。

そして極めつけは一通のメール。そのメールは送信者不明であったばかりでなく、なんと一分「先」に送信されていた・・・

おまけに悪霊に憑りつかれたカタカナ。

幸いあうすての命に別状は無かったが、京都の寺社には禁忌があるという情報(ほりゆ談)もあり、今回の探索とメンバーの犠牲は我々の危機意識に変化をもたらす結果にもなった。

今後は(特に寺社に関しては)事前に十分な情報を集めたうえで探索を行うようにしたい。

 

参考

賀茂御祖神社-wikipedia

奈良の小川・瀬見の小川・旧奈良の小川

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